★軍師官兵衛第39回「跡を継ぐ者」レビュー
【今回のポイント】
・茶々懐妊!!
・官兵衛隠居→長政が当主に・・・うわぁぁぁ怖っ
・官兵衛が職隆から家督譲られた状況と一緒やん!でも長政と官兵衛の出来には雲泥の差が(ry
・官「隠居します」秀「訳を申せ!」本音言えるわけねぇぇぇwww
・三成「隠居したいって言ってんだからさせればいーじゃないっすか」→秀吉「これ以上わしと官兵衛のことに口出しすんな!」うおぉぉぉ・・・(^^;
・三成腹立つな!本当にこんなやつが島左近に石高半分出したり大谷吉継に親切にしてんの?
・茶々、秀吉で遊んでんなーwww
・落首事件勃発ぅぅぅ!
・ねねに請われて秀吉に諫言する羽目になる官兵衛、とんだ貧乏くじ(ーー;)
・結局家督は長政に譲るけど官兵衛は秀吉に仕え続けることに。これ2倍給与出るのかな・・・?
・秀吉の第一子、鶴松誕生!!
・長政、黒田家当主に!
・いよいよ小田原!!
今回は事件盛りだくさんでしたね!
まず茶々の懐妊!
・・・(´゚ω゚):;*.':;ブッこの話題になるたびに吹いてしまう私。
なぜって、公式だけで10人以上妻がいるのに1、2回ヤっただけで茶々にだけ子供ができるとかありえなくね?秀吉は絶対種無しだったんだと思う。
否、長浜時代山名善幸の娘とされる側室南殿が2人の子供を産んだらしいのですがいずれも早世、秀吉は種無しというより劣性遺伝子の子種しか持ってなかったんだろうなぁ
一般に茶々の懐妊には密通説がついてまわりますよね、大野治長とか石田三成とか。でも私は一度目の妊娠は本当に秀吉の子だったんじゃないかな?って思ってます。なぜならネタバレになるけど今回授かった鶴松くんはさきの2人の子と同じく夭折してるから。茶々はそのショックと家中でで唯一子を産んだ妻という優越感が忘れられず密通に走ったんじゃないかな?なんて。
それに鶴松くんが生まれたのは1589年7月9日。単純に逆算するとヤったのは前年の1588年の9月。1588年は茶々が側室になった年だし前年に九州平定も済ませてるから秀吉は基本的に聚楽第を離れてない。きっと新婚ホヤホヤで浮かれてる秀吉は茶々にべったりだったろうから密通なんてする余裕は無いと思うんです。
まぁ密通の話は秀頼が生まれるときに詳しくすることにします。今言えることは私は大野治長は嫌いじゃないってことですね。
それに伴って官兵衛は長政に家督を譲ることに。
このバカ息子で大丈夫か!?
官兵衛が父職隆から家督を譲り受けたのと全く状況一緒。あの時も職隆は主君小寺政職に謂れ無き二心を疑われて隠居。優秀すぎるってのは考えものやな。
しかし隠居を願い出るも秀吉は意外にも断固としてそれを拒否!
官兵衛が怖いから九州に追いやったはずなのにいざ官兵衛が豊臣家から去ろうとすると必死に止める秀吉。
三成はその理由を聞こうとしますが「わしと官兵衛の間のことに口を出すな!」と一喝されてしまう。子飼いの三成といえど秀吉と官兵衛の間には触れられない何かがあるってことか。思えばこの二人の付き合いも長いもんな、戦場を共にした年月なら三成より官兵衛の方が上だろうし。
そんな中で有名な落首事件が発生!ドラマでは紙に書かれていましたが史実では聚楽第の門の屯所壁に落首が書かれました(書き写しかもしれんが)。正確に残っているのはドラマにも出ていた2首だけですが実際には他にいくつかあったらしい。
大仏の くどくもあれや槍かたな くぎかすがいは こだからめぐむ
「大仏」はこの当時建立中だった方広寺の大仏ことですね
「くどく」は“功徳”と“諄く”をかけているんでしょう、秀吉の金箔趣味は確かに諄い
「槍かたな」は前年に行われた刀狩りのこと。実は刀狩りは方広寺建立を名目に行われたのです
「こだからめぐむ」→子宝恵む、勿論茶々の懐妊のこと
ささたへて 茶々生きしげる内野原 今日はけいせい 香きらいける
「茶々生きしぎる内野原」は文字通り聚楽第で茶々の権力が上がったということ。聚楽第のあった場所は当時内野と呼ばれてたらしいです
「今日」=京
「けいせい」=傾城、まさしく茶々のことですね
一首目は「アホみたいに信心深くすれば種無しの老人にも子供ができた」
二種目は「豊臣家は茶々の言いなりですやん」って感じの揶揄ですね。
これは現代で言う2chでのアンチスレですかね?
【悲報】豊臣家の現在wwwwww
1:主は名無し殿1589/02/25(金) 03:32:28 IDdjsmdkvm/
大仏のくどくもあれや槍かたなくぎかすがいはこだからめぐむ
2:主は名無し殿1589/02/25(金)03:35:15 IDsndkksndff/
>>1 テラウマスwww
3:主は名無し殿1589/02/25(金)03:40:17 IDjwbiquhedf/
>>1 消されるぞww
ってかんじ?wwwで、2ch巡回中の増田長盛に見つかる。
記録によるとその日門の警備を担当していた大名10名(当時は京に家のある大名家が交代で門番をしていたと思われ)が追放処分、当日警備していた門番17名は拷問の末磔刑。他本願寺に匿われた尾藤道林の家族と彼らの住んでいた地区はことごとく焼き払われ66名が六条河原で磔、当の本人たちは自害して引き渡されたのでした。
これに対してねねは官兵衛に秀吉への諫言を頼みます、嫌な予感しかしない!
そこで官兵衛はぼろくそに秀吉を非難します。秀吉はブチギレ寸前でしたが急に笑って一言。「これだから官兵衛を手放せない!」
そばで官兵衛の失脚(或いはその場で手打ち)を期待していた三成はあからさまに拍子抜けw
官兵衛のすごいところはものすごく現実的な理由と一緒に非難するところ。
「落首の件で京の民の人心は離れた。もう50過ぎてるんだから子供産まれる時にはあんたは死んでるかもしれない。子供のために茶々の懐妊は民に祝福されなければならなかったのに」
耳が痛いけど説得力ある~しかもちょっと狡猾wこれぞ諫言って感じ!
秀吉はむかついただろうけどちゃんと豊臣家のこと考えてくれてるんだって感じたでしょうね、なんにでも是って言われるよりよっぽど(ねー?三成(。-∀-))
再度隠居を願い出るもやっぱり却下される官兵衛。食い下がると秀吉から折衷案が。
家督は長政に讓るが官兵衛は引き続き秀吉に仕える。名目上は黒田家と切り離した形での登用ってことになるでしょうがそうもいかないでしょう、まぁ黒田家としては何かあっても責任を取る(つまり切腹)要因が二人になるわけだから得な部分もあるかも。案外関ヶ原で危ない橋渡った黒田家が生き残ったのはそのへんにあるのかもね。
さて来週はついに小田原城!タイトルが「小田原の落日」ってもう落ちるの!?
第一回でちらりと出た「命を無駄遣いするな!」って小田原を無血開城(?)させるシーンはもうやるんでしょうか?そして伊達政宗は出るでしょうか?w