★軍師官兵衛第42回「太閤の野望」レビュー
【今回のポイント】
・タイトルwwwwコーエーテクモの有名ゲームかwww
・官兵衛「天下は糸の切れた凧、黒田が支えねば豊臣は、天下は滅びてしまう」そんなことで滅びる豊臣なら滅んだほうがいいんじゃね?と思ったりww
・豊臣秀次キタ━(゚∀゚)━!wwww
・ん!?増田長盛この前よりも老けてないか!?ってかちっさい
・鶴松が死んで傷心の茶々
・小西って薬屋上がりなのー?
・渡航中のシーンとか初めて見た!皆酔ってるーw
・ぎゃあああああ三成と茶々が密談してるぅぅぅこれって暗に茶々と三成の密通を表してるの・・・?
・もうはや三成孤立してんなぁ
・朝鮮兵VS日本兵の描写がないんだが・・・
・茶々★懐妊!?
・浅野長吉もキタ━(゚∀゚)━!
・秀頼懐妊によりすっかりハッピーモードの秀吉はすぐに和睦、朝鮮攻め終了~!
・小早川、さっきから「官兵衛の言う通りじゃ」しか言ってなくね?ww
・有名な碁打ちの話ktkr
・は、はめられた!!!三成テメェ(`Δ´)!
・ラストの藤は・・・有岡城幽閉篇がはるか昔に感じられますね
・あああああ如水誕生!?岡田准一のスキンヘッドォォォ
・大谷吉継マダー?
むむむ、反応しづらい朝鮮征伐でしたね。
いつもよりは多く描かれていましたが、肝心の朝鮮人との激突シーンは無し。朝鮮の兵がいかに日本兵を苦しめたのか、日本兵がそれにどう対応したのか、という細かい描写が見たかったのですが・・・まぁ無理がありますか、なんせNHKは左よk・・・
でも船や陣所のシーンなどは目新しかったですね、欲を言えば朝鮮らしい風景と映ってるキャラクターの絵が欲しかったかな?慶長の役に期待しましょう!
文録の役の総大将は宇喜多秀家!陣内智則が演じたあの宇喜多直家の子供があんなに立派になるなんて!あんなに小さかったのにね~
「薬屋あがり」と言われていましたが恥ずかしながら私は全然知りませんでした(^^;ってことで調べてみました。
小西行長は堺商人の次男として生まれ、商売で訪れていた宇喜多家で直家に召し出され武士に!そして秀吉の三木城攻めの際宇喜多家からの使者として秀吉に会い臣下に。なんというシンデレラ!!!
天正12年には高山右近の誘いでキリシタンに、洗礼名はアウグスティヌス。元々家族全員キリシタンだったんですけどね(行長の父、隆佐は文禄8年(1565年)の時点で入信)右近がバテレン追放令の煽りで追われる身になった時も彼を匿っています。
あ、ちなみにねねの侍女でこれみよがしに十字架下げてるおばさん、小西マグダレナは行長のお母さんです。ってことは行長もどちらかといえばねね派?と思いきや作中での描写のとおり清正や正則とは仲がよろしくないご様子。清正と行長の領地は隣同士で国境問題があったとか、清正が日蓮宗に対して行長がバテレンだった、とか行長は清正の嫌いな文治派(頭脳派)だったから、とかまぁ色々あったんですが驚いたのは今回の文録の役の際、行長は朝鮮に清正の上陸時間を密告して討たせようとしたとか!(結局失敗したけど)どんだけ嫌いだったんだよ!
作中で先陣争いになったシーン、官兵衛のアイディアで先鋒は一日交代ってことになりましたが実際には行長が勝ったみたい。
ネタバレになりますが結局関が原では西軍につき、敗戦後斬首となります。死ぬ前に秘蹟(サクラメント、終油の秘蹟だと思われ)をキリシタン仲間である長政に頼みますが、この頃黒田家はすっかり徳川方だったので残念ながら引き受けることができませんでした。ドラマで描かれそうなエピソードですね^^
和睦の許しを申し出に来たとき官兵衛の隣にいた浅野長吉なる人、彼は後の浅野長政です。もうこいつの名前超ややこしい!戦国時代初心者だった頃はよく浅井長政とか黒田長政とかと混ざってましたw
しかし小西に宇喜多、浅野と着々と関が原の舞台役者が揃ってきていますね!あとは大谷吉継を残すのみ。
ここいらで彼を出して三成の株をちょっと上げてやってくれwっていうか三成はマジなんのためにあんなことしてるんだ?全然秀吉様のためにやってるように見えないよ!むしろ今回の茶々との密談シーンのせいでガチで豊臣家の政権握るとことが目的にしか見えんようになってしまった。
しきりに三成×茶々を推すね~このドラマは。
私は断然大野治長×茶々派なんで実に面白くない。
「私はもう一度殿下の子を産みます、これが私の戦」って意味ありげに三成を振り返って次の登場シーンでもう「できちゃった★」じゃ完全に三成とヤったみたいじゃん・・・
好きなカップリング的な話は除いて科学的、論理的に分析しよう。
秀頼の誕生日は1593年8月29日
40週間逆算するとヤったのは前年1592年の11月の最初の週。確かにドラマでは茶々は名護屋城に滞在していますが実はこの時期彼女が九州にいたという確かな資料は存在しません、側室京極竜子がいたという記録はありますが。
ちなみに石田三成は1592年の6月頃に渡航しているので関係ないと思います(一度も名古屋に帰ってきてないっていう証拠はないけど)。
もっと詳しい話はこちらに、九州大学の教授が秀頼の非実子説を提唱しています。
ただこの人の説では茶々は呪術的な儀式の過程で僧だか陰陽師の子を孕んだとありますが、プライドの高い茶々がそんなことするかしら?秀頼誕生後出入りの僧や茶々付きの侍女が追放、処刑された話は有名だけどどっちかというと茶々の密通を知る都合の悪い人間を消したんじゃ?肝心の乳母、大蔵卿局(治長の母)は健在だし。茶々の密通相手が大野治長でなかったとしても立場的に怪しい彼を僧やら侍女を抹殺するほど警戒心をあらわにした秀吉が見逃すとも思えないんですよね~ってことはやっぱり公認っていうか知ってて知らないフリしてたんじゃね?治長を迫害すれば自ら秀頼の父が治長であると認めることになりかねないから。
まぁ個人的には二人は秘密の関係♥だったって方が萌えますけどねwww
ただ心配なのは歴史をよく知らずに軍師官兵衛を見ている人が「茶々と三成ってそういう関係だったんだ!」って思い込むことですね・・・みなさん、三成も治長もあくまで一説ですよ!
どうでもいいけどこんないかがわしい経歴の秀頼が乙女座(処女宮)ってなんか笑えますwww
それにしてもこすい手ではめてくれたな、三成・・・
しかし稀代の軍師がこんな手に引っかかるとは。官兵衛、有岡城のとき然りもっと疑り深くならなきゃ!このドラマの三成は腐ってるんだから。三成ってもっと高潔で不器用ってイメージだったんだけどなぁ…まぁ官兵衛が主役のドラマだから仕方あるまい。
囲碁の件に関して、官兵衛は「そんなに大事な話じゃないって言われた」と言い訳していましたが、本当は大事な軍議の話でした。岡田官兵衛はそれをないがしろにはしないでしょうが、史実の官兵衛は三成が嫌いなこともあってあえて待たせたようです。あ、ちなみにこの時碁の相手をしていたのは浅野長政だとか、彼も一般的に三成を嫌っていたことで有名ですね。
このことを三成は秀吉にチクりますが、秀吉は「官兵衛に碁を禁止しなかったわしが悪い」と官兵衛を許しました。後に官兵衛は三成が碁のことをチクったと知って申し開きをするため無許可で帰国し、今の状態に至るわけです。
三成の策略と見ればそうも見えますが、要は官兵衛も結構好き放題やってたってことじゃない?
っていうかこの時官兵衛を訪ねたのは石田三成、増田長盛、大谷吉継の三奉行なんですけど・・・なんで大谷吉継いないの!?!?!?
私への嫌がらせ?前田利家然りどうして私の好きな人は出ないの!?出たら出たで松永久秀とかイマイチだし!
あぁ、今週で髪の毛のある官兵衛は見納めだったのか・・・若山耀人君がクランクアップしたときや職隆が死んじゃった時と同様の寂しさがありますね(><)