★軍師官兵衛第41回「男たちの覚悟」レビュー
【今回のポイント】
・官兵衛に徳川って冒頭から暗いな~
・北条家の領地に国替えさせられる徳川、旧敵の土地とかやりづらそ~
・ねねに仕組まれて官兵衛と二人きり(ねね付き)で飲むことになる秀吉、気まずww
・庭に金色の猿とか置くか!?wwww
・久しぶりに半兵衛の回想キタ━(゚∀゚)━!
・案の定秀吉と大喧嘩に、官兵衛「軍師やめんぞ!」秀吉「それはわしの決めることじゃ!」こんだけ喧嘩しても官兵衛をクビにしたり殺したりしないんだ・・・
・秀長(´;ω;`)すっかり弱っちゃって・・・
・鶴松随分大きくなって、2、3歳で死去だからそろそろじゃね?
・小西行長ktkrいきなりピンチwww
・秀吉を諌める利休、ヒートアップ!→蟄居
・あぁぁ秀長死んじゃったぁぁorz
・利休切腹!!何気にクランクアップ回だったのね
・しきりに茶々と三成を絡めるね・・・
・鶴松、死去
・官兵衛「殿下が変わったのは何事も息子のためと考えるようになったからだ」→(これで戻れば儲けもんだな)という黒官兵衛が見たかった
・鶴松の死に半狂乱の秀吉、弱気になりすぎて「利休を殺したバチが当たったんだ」と言い出す始末
・秀吉を抱きしめてやる官兵衛、天下のためとか言ってるけど結局秀吉のこと好きなんだな、官兵衛
・秀吉「朝鮮攻めすんぞ!」官兵衛「無謀…無謀…無謀!!!」なんか漫画の名言にありそう
・おぉ、朝鮮攻め結構詳しくやってくれる感じ!?楽しみだな~
はーい、今日は「ガンガン逝こうぜ!」な日でしたねwww
まず豊臣秀長、マジでこの人が長生きだったら豊臣政権末期はもうちょっとマシだったと思うんだ、とりあえず秀吉死後に三成があんだけのさばるのは防げたでしょ。
っていうか三成って一歩間違えば国家をダメにした典型的なゴミ官僚(三国志の蜀における黄皓的な)なのに人気よね、かくいう私も大好きよ♥(軍師官兵衛の三成は嫌いだけどね)やっぱり私欲じゃなくて彼なりに豊臣家のためを思ってたから?それにしては茶々と絡み過ぎだっつーの!あれじゃ秀吉亡き後に豊臣家と茶々を手に入れようとしてるようにしか見えないよ、ねぇ?治長さん
治長「…え?」
違う、三成の話じゃなくて秀長だよ。
豊臣秀長っていうと補佐役とか調停役ってイメージがありますよね。現にそうなんですけど、それはやっぱり彼の死後1ヶ月もしないうちに利休の切腹、1年後に朝鮮出兵と続くからかな?豊臣家と徳川家の間取り持ってたのも彼らしいし。
でもこれだけ調停が上手くてもなんか口や世渡りがうまいエリート★イメージ沸かないんだよな、なんか「すごくいい人だったんだろうな」って思うw秀吉の異父弟(=百姓上がり)だからかな?
っていうか調べてみたら彼が主役の小説予想以上にいっぱいあってびびった、司馬遼太郎も書いてたのね!ちょっと読んでみたいです。
あ、藤堂高虎の上司としても有名ですよね!
信長や秀吉の不興を買った人を受け入れたり、武田や磯野など戦の度に他家を落ち延びた優秀な武士を積極的に引き入れてたみたいです、やっぱりいい人だったっぽい。面白いのは彼の部下のほとんどがその後徳川に士官して成功している点ですね。優秀な人材ばかりだったのもあるけど秀長がなにか言い残してたのかもね。
続いて千利休!
引き金になった大徳寺の銅像の話は有名ですよね、これまで大徳寺は都合3回行きましたがその銅像は当然のことながら現存はしないのです、跡地に説明だけ書いてありました。大徳寺いいですよね、入場料別々だけど敷地内に2つの枯山水あるし紅葉や竹林も楽しめる。すぐ裏手には今宮神社があってそこの名物あぶり餅が絶品なのです★
またも脱線w要は利休は茶人の一線を超えてたってことですね、家中や諸大名は秀吉の怒りに触れると禄や首が危ないんでおいそれとは換言できないから代わりに俺が言ったるわー→切腹(・ω・`)的な?
ただ大友宗麟が大阪城に来た時に秀長に「公儀のことは私に、内々のことは利休に尋ねよ」って言われたエピソードからもちょっと口出しすぎだったんじゃないかなー?なんて。(と、同時にまたも秀長がいい人だったんだなって納得しちゃうエピソードでありますねw)武人でもないくせに何がわかる!って言われかねねーもん、茶人が言うと。要は商人しいては町人だからね。
秀吉が嫌う侘び寂びや黒い茶碗を重んじたのも美意識の問題だから仕方ないかもしれないけど、私に言わせれば秀吉は嫌いだって言ってんだから押し付けんなよって思う。美意識なんてわかんない奴には説明したって無駄なんだから無視しないと。それに農民上がりの秀吉は黄金への執着と同時に泥臭いものにコンプレックスがあるでしょう、それを目の前に出されたら不快になるのも当然だろう。茶の湯とか美意識の問題以前にマナーの問題だ、人を不快にさせることをしないことが一番格式高いことだろ思うんですが?(ヴィクトリア女王がフィンガーボールの水を飲んだ逸話が大好きですw)
まぁ確かな当時の事情は分からないので勝手に言ってますが(ーー;)
あれ?なんか利休の批判みたいになっちゃった!すみません、別に嫌いじゃないですよ!っていうか伊武雅人見れなくなるの寂しいなぁ、伊武さんが徳川家康やってくれればよかったのに~
ところで前々回紹介した落首事件ですが、
まつせとは へちにハあらし木の下の
さる関白を見るに付けても
まつせ=末世
へち=別
木の下の=木下、木下藤吉郎の木下ですね
さる関白を=猿関白を、まさしく秀吉のこと
要は木下藤吉郎って猿が関白とか世も末やねwwwって意味です。茶々への寵愛、利休の切腹、朝鮮出兵といかに秀吉の人気が洛中で下がっていたかが伺われますな~
そして最後は鶴松くん
1589年7月9日~1591年9月22日、わずか2歳の生涯(蟹座か)
このうちの半年間小田原征伐の関係で母である茶々が傍にいなかったっての結構でかかったんじゃね?聞いた話で生後数ヶ月間全くスキンシップとかの愛情を注がずに育てた赤ん坊はそのあとどんなに可愛がっても人格破綻か最悪障害残るらしいですよ。まぁ昔の偉い人の子供なんて乳母が育ててたようなもんだけど。案外茶々が不在中にねねがなんかしてたのかもよ?(ねね黒幕説)
そういえば2年後に第二子、秀頼が生まれるわけですが・・・いや、この話は秀頼が生まれてからにしますw
いやぁ、鶴松が死んだあとの秀吉荒れてたね~
あんだけ揉めたわからず屋の上司なのに抱きしめて慰めてやるとか、官兵衛心広いな・・・私だったら「いい気味じゃ」とか思っちゃうかも。やっぱり秀吉のこと好きなんだなぁ、いい上司だった時代を覚えてるからまたあのころの秀吉様に戻ってくれるかもしれない・・・!とか心のどっかで思ってるんでしょうね、無理だよw
鶴松の死で失速するかと思いきや、逆に朝鮮攻めに拍車がかかる秀吉。
官兵衛の「無謀…無謀…無謀!!!」に
「感謝っ…!圧倒的感謝っ…!」とか
「貧弱!貧弱ゥ!」的な名言力を感じましたwww
いつも「行った」「戦った」「終わった」ではぐらかされてきた朝鮮征伐がどれくらい詳しく描かれるか、楽しみです。
ではまた来週!